鹿島神社文学苑
蟹江町は濃尾平野の南、伊勢湾沿岸部に位置し、戦後しばらくまで水田の広がるのどかな農村でした。加えて蟹江町は海抜ゼロメートル地帯で、河川や水路の多い水郷の地でもあり、素朴かつ情趣豊かな風景を見いだすことができました。実際、昭和17年(1942)から昭和18年(1943)にかけて幾度となく蟹江町を訪れた作家の吉川英治は、この地を「東海の潮来(いたこ)」と称して愛でています。
しかし、こうした風景は戦後の急速な近代化や昭和34年(1959)の伊勢湾台風により、みるみる失われていきました。このような折り、蟹江町出身で、ねんげ句会(※注1)同人の黒川巳喜が、消えゆく風情を何とか後生に伝えたいという思いと、蟹江町に文化的遺産を残したいという思いから、私財を投じ、昭和43年(1968)から18年の歳月をかけて、著名な俳人やこの地方の文化人の詠んだ俳句を句碑にして鹿島神社の敷地内に建設したものが、鹿島神社文学苑です。
※注1「ねんげ句会」・・・小酒井不木が創立した俳句の会。「ねんげ」は拈華微笑から由来しています。
鹿島神社文学苑句碑(二十六基)
鹿島神社文学苑の句碑には、「ホトトギス」の四S(よんえす)といった著名な俳人の名の他に、元愛知県知事や元名古屋市長のような、この地方の政財界の人名も刻まれています。句の内容は往時の蟹江の情景を主題としたものが多く、かの吉川英治が「東海の潮来」と称し愛でた昭和前期の古き良き蟹江の風景を彷彿とさせます。
※注2「四S(よんえす)」・・・昭和初期に句誌「ホトトギス」で活躍した水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子を指した言葉です。
※作者名をクリックすると、作者の紹介と句碑の大きな画像が出ます。
作者名 | 句 | |
1 | 小酒井不木 | いつとんで来たか机に黄の一葉 |
2 | 岡戸武平 | 葭切は葭の青さにけふを啼く |
3 | 桃山葱雨 | 春山は遠し海抜ゼロ地帯 |
4 | 狩野近雄 | 佐屋川や水深まりて秋沈む |
5 | 原たかし | 朽舟は若葦の辺に動かざり |
6 | 中村汀女(なかむらていじょ) | 夕ざれば水より低き花菜添ひ |
7 | 橋本鶏二 | 蘆刈の置きのこしたる遠嶺かな |
8 | 水原秋桜子(みずはらしゅうおうし) | かきくらす雪より鴨の下りにけり |
9 | 阿波野青畝(あわのせいほ) | くひな鳴く鹿島の神の灯ともりて |
10 | 殿島蒼人 | 藻の花をよけて釣糸落しけり |
11 | 宮田重亭 | 多度鈴鹿女竹の間に春の水 |
12 | 清崎敏郎(きよさきとしろう) | 葉ずれして末枯葭の揺るるかな |
13 | 杉浦冷石 | 水郷の高畝立てし春田かな |
14 | 山田麗眺子 | 太陽を恋へり就中すゝきの穂 |
15 | 桑原閑古亭 | 水郷の湯に抱かれて冬一日 |
16 | 寺田栄一 | 鎮守への裏の畑みち鵙高音 |
17 | 上野千秋 | 枯芦の折れ込む水もぬるみけり |
18 | 稲畑汀子(いなはたていこ) | 光るもの多し蟹江の水の秋 |
19 | 山口青邨(やまぐちせいそん) | 櫛月の鹿島の松に年暮るゝ |
20 | 杉戸 清 | せり市の金魚手あらく移さるる |
21 | 山口誓子(やまぐちせいし) | 舟入に青浮草の繁るのみ |
22 | 長谷川朝風 | 霽れ空に鳴き出て遠き法師蝉 |
23 | 加藤かけい | 青芦や水の蟹江の鮒鯰 |
24 | 長谷川双魚(はせがわそうぎょ) | よしきりのこだまをりをり城下町 |
25 | 鷹羽狩行(たかはしゅぎょう) | 芦茂るところ中州のあるところ |
26 | 黒川巳喜 | 土手の家たつきの水を藻の花に |
Information
住所 | 〒497-0044 愛知県海部郡蟹江町大字蟹江新田字鹿島 鹿島神社境内 |
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アクセス | 近鉄蟹江駅からタクシーで |
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