源氏塚公園
この辺りは、平安時代の末期ころ、広々とした海で、ところどころに島が点在していました。
平治元年(1159)都では、平治の乱が起こり、平清盛に敗れた源義朝一行が、東国に落ちに延びる折、美濃の国青墓(現在の大垣市青墓)から養老、荷の上を通り、内海の庄野間へ船で落ち延びる途中、この小島にしばし船を止め休息し、蟹江の漁民のもてなしを受け、漁船により内海に送り届けられたと言い伝えられています。 人々はいつとはなしに、この地を源氏の大将が休息した島「源氏島」と呼ぶようになりました。なお、源義朝は、野間にて、地元の豪族「長田忠致」に謀られ、38歳の若さで非業の最期を遂げました。
平成4年、源氏塚の保存整備と、水質浄化施設を備えた公園として、ふるさと創生資金が充てられました。今では、蟹のモニュメントの噴水など、地元住民の憩いの場として、また、ハイキング客などが訪れています。
Information
住所 | 〒497-0050 愛知県海部郡蟹江町学戸七丁目170番地 |
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