吉川英治句碑
昭和17年(1942)、18年ころ、当時、中央公論編集長佐藤観次郎氏の紹介でこの地を訪れた文豪吉川英治氏は、河川や水路、水田などの織りなす佐屋川ベリ一帯の風情を「東海の潮来」と呼びました。
その後、数回にわたってこの地に遊び、水郷蟹江に深い親しみを覚えた文豪は、ある月の夜、佐屋川堤をたどり「佐屋川の 土手もみちかし 月こよひ」の句を詠みました。葭原に川風が鳴り、堤の竹やぶがなびくのを見て詩情のかたまりに時を忘れ、月明かりのなか歩みを進めたと思われます。文豪の容姿が浮かぶようです。
当時の吉川英治氏は、新書太閤記を執筆中で、蟹江合戦に思いをはせたことでしょう。
昭和39年、黒川己喜氏、佐藤観次郎氏、河瀬佐太郎氏、山田平左衛門氏らが有志により、河川グランドの近くの土手に、吉川英治句碑が建碑され、後に蟹江町へ寄付されました。
Information
住所 | 〒497-0044 愛知県海部郡蟹江町大字蟹江新田字下西野 |
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